能力バトルにおける「能力の曖昧さ」と今後のトレンドに関する考察
以下 アンデット・アンラック
葬送のフリーレン
無能なナナのネタバレ注意。
記事タイトルとネタバレ注意に挙げてる作品で記事の内容を察することができた人は読む必要はない。
本題の前に、能力バトルに関係するある読み切り漫画における印象深いやりとりを紹介したい。
「能力を何でも1つ得られるとしたら何がいい?」
という問いかけから始まる読み切り。
能力バトルモノに触れたことがあれば一度は考える質問である。
その読み切りでは火を出す能力とか色々検討した結果「右手から5,000兆円出す能力」に落ち着いていた。(右手からお金を出す能力、だったかもしれない)
印象的だったのは以下のやりとりだ。
A「(右手から)火を出す能力がいい!」
B「でも自分の出した火で火傷するよ?」
A「火を出す能力者は自分の出した火で火傷しないでしょ」
B「なら能力者は能力を1つではなく『火を出す能力』と『自分の出した火で火傷しない能力』の2つを持ってることにならない?」
私はBに非常に感心するとともに、「Bの言ってることはただの難癖では?」とも思った。
そこで記事タイトルとネタバレ注意の3作品に触れようと思う。
3作品に共通するのは
「能力が曖昧であることに触れている点」である。
(以下の作品では能力を否定能力や魔法といった固有名詞で表現しているが、分かりやすさを重視するため「能力」で統一する。)
アンデット・アンラックの例が1番分かりやすいと思う。
作中に登場する不死の能力者は、指に意識を移すという離れ技で指から全身を再生している。
(そもそも能力は「不死」であるにも関わらず、高速で再生したり血圧を高めて指先を飛ばしたりしてる。)
作中では「能力の理解と解釈を深めると能力は強化される」と説明されていた。
次に葬送のフリーレンに登場するユーベルというキャラクターの「大体何でも切れる魔法」は基本的に布や髪しか切れないはずの魔法だが、「魔法はイメージである」という作中の理屈でユーベルは「髪や布は切るものでしょ」というイメージで、魔法が付与されて頑丈な外套(マント)や髪の毛を切っている。
無能なナナでもあるキャラクターの能力が変化したり、双子の幻影を出すとされた能力者が実は「幻覚を見せる能力」だったのではないか?と作中で考察されていた。
また、自分の出した火で火傷しない火の能力者も登場している。
上で挙げた「不死」と「大体何でも切れる魔法」は極めて曖昧な能力である。
しかし、厳密に能力を設定しても、物語上の展開の妨げになる。
分かりやすい例を挙げるのであれば「時間停止」能力が分かりやすい。
世界中の時間が、運動が止まっているのか?
地球の自転も止まっているのか?
衛星の公転は止まっているのか?
それとも時間停止能力者のみが超高速で移動できる擬似的な時間停止能力なのか?
高速で動いているなら、時間を停止しているなら空気や光はどうなるのか?
……etcetc
完璧に厳密に能力を設定するのは不可能であり、能力間での矛盾も生まれるだろう(呪術廻戦のように能力は各々の世界の解釈だから矛盾が問題にならないという方向の理由付けも可能ではあるが)
そこで能力の曖昧性にある程度の理屈を作中で付けて、キャラの成長やキャラごとの精神性で能力も変化する。
とした方がキャラと能力がリンクして物語とキャラに奥行きが生まれるのではないだろうか。
今後は能力の曖昧さを許容し、作中で理由付けを行うことで
「キャラクターと能力が密接にリンクした能力バトル」がトレンドになっていくと考える。
以上